遊ぶ蟻はいざというとき働く。そんな蟻もいる方が生存確率が高い。

無駄を楽しむ人間。考え方によっては娯楽は無駄でしよ。

HDD RAID はHDDが1台余分に必要だが無駄ではない。

並列計算は必要な操作が増える(同期処理Join)。特にヘテロ系はペナルテイが大きい。

与えられた(教わった)定理や考え方が絶対に正しいわけではないし、他に違った考え方や、もっとその場合に適した考え方があるかもしれない。そもそも間違った問題設定かもしれない。間違った問題に対する答えはないから。

考え方というのは、その立場ではそう見える、というだけである。

社会にとって本当に必要なものだけが、学問として存在理由があるのかどうか、ということさえ、疑問とすることも不可能ではあるまい。実際、研究開発の発展という立場に立ってみたとき、社会の必要に直結する形での研究のみに資金が投与される、という種類の開発計画は、最も拙劣なものであって、一見不必要であると考えられるような領域にも、無駄金が配分されることのできる仕組みが、結局は、好結果を産む、ということも、その限りでは、極めて明白な真理である。『歴史としての科学』p.29 村上陽一郎

ルールはいつでも『仮に』決めたものであって、厳密にルールを守ることは法律以外には要請されておらず、そのルールに拘るあまり別の真理を見落とすこともあり得る。ルールを扱うために別のルールを用意するような無限後退は慎むべきである。私はプラグマティズムを支持する。アメリカが先に行ったのは偶然ではない。

聖書の言葉に「新しい酒は新しい革袋に入れなさい」という文句がある。新しい酒を古い革袋に入れるとどちらもダメになってしまうから。でも、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』に「科学的な人は新しい革袋のために古い酒を忘れる」という件がある。新しい技術のために古い技術を忘れる、と解釈できよう。それは無駄なのだろうか。どちらが無駄なのだろうか?コンピュータプログラムについて言えば、ユーザーは自分が使うプログラムが新しい技術でできているかどうかは問題ではない。ユーザーがしたいことができるプログラムが良いプログラムなのだ。Googleは古い酒を捨てている(WebMasterToolでDNSのレコードを弄る必要があるなんて酷い)。Appleも古い酒を捨てている(バージョンアップの度に互換性を捨てているのは有名。MSが怒ってOfficeなくなったよね)。MicrosoftはWin32 APIをずっと互換しているから好感が持てる(Win64はWin32プログラムを再コンパイルすればよい)。極論すれば、プログラムが動けば「可」だが、動かなければ「不可」にしかならない。よいプログラマは怠惰だ。すでにあるものを組み合わせて動くなら、そのプログラムも「可」である。アジャイル開発のアイデアはそこから来ている。